聖夜の祝福にはこうべを垂れて


  
 この日に勇気を──。

 仕事部屋で窓辺に立ち外を睨むように見詰める男と、自宅の茶の間で両手を組み祈るような姿勢の男が、期せずして同時に呟いた。

「さて、とりあえず急いで仕事を終わらせて。」
窓辺から大きな机の前に戻り身体を包むような柔らかな革の椅子に背を預けると、カカシは胸を押さえてはあっと大きな息を吐いた。
 時代は変わった。異国の文化がわあっと押し寄せるように入ってきては、あっという間にこの里に根付いてしまった。
クリスマスは昔から一部の者達に宗教行事として細々と受け継がれていたものだが、この数年で家族や友人恋人と楽しく騒いで過ごす為の言い訳になった。
そう、言い訳だ。だからカカシも一年お疲れ様って食べたいものを奢ってあげるよ、とイルカを誘えたのだから。貴方は年末はアカデミーの忘年会だから早めにと思って、とカカシが誘えば屈託なくご馳走になりますと嬉しそうに笑ってくれた。
 イルカは現在アカデミーで教頭として忙しそうに、しかしまた楽しそうに走り回っている。
生涯一教師、と常々イルカは言っていた。そんな彼に教頭昇進試験を受けさせる為あれこれ策を労したのは、次の火影にナルトが内定していたからだ。
六代目として火影の仕事をして、カカシは火影に背負わせる事が多すぎると実感した。とりあえずすぐできる事として、ナルトの職務からアカデミーを分離させて楽にしてやりたい。そしてイルカにも、以前よく酒が入ると繰り返し話していた理想のアカデミーを作り上げて欲しい。
 ナルトが七代目火影を襲名する頃には、イルカは校長になっているだろう。この師弟はお互いが側にいるだけで安心して力を発揮できる、まるで親子か兄弟のようなものなのだ。
「妬けるよねえ。」
見当違いの嫉妬だとは自分でも知っているけれど。

 イルカと個人的な付き合いが始まったのはまだカカシが上忍師だった頃。
カカシもイルカも普段の交遊関係が賑やかだからか、一日の終わりには一人でいる事を好んだ。
何度も夕食を町なかの適当な店で食べている現場に遭遇した。勿論お互いに一人きりだ。そして知り合い同士が無視し合うのも不自然だからと、特に会話もないが二人で並んで食べたりたまには飲むようになっていった。
カカシは最初は知り合いとはいえ人が一緒にいる事で尻が落ち着かなかったが、次第にイルカがいなければ尻が落ち着かない状況になってしまった。大事な友人だからだろうと思っていたが、ある日イルカが仲間達と楽しそうに飲んでいるところを目撃して嫉妬が燃え上がってそこで自覚したのだ。
これは恋だと。
 カカシは非常に前向きだった。イルカに嫌われてはいないだろうが脈はあるかないか、なければ情に脆い人だから外堀から固めた方がいいのか、多分あれだけ一緒に過ごせば性格は見抜かれているから飾っても仕方ない。
ならば?
伊達に上忍として、過去には暗部として修羅場を潜り抜けてきたわけではない。幾つもの戦法が頭に浮かぶ。
その中から選んだのは意外と地味な匍匐前進だ。そう、正統派の正面から突っ込む戦法。
 だがしかし。さて突撃だと構えたところで木ノ葉崩しが起こり、第四次忍界大戦を終えるまでカカシとイルカは殆ど関わりがなくなってしまったのだった。
あれは大誤算の数年だったな、とカカシは時計を見て至急目を通さなければならない書類を捲る手を速めながら片頬で微笑んだ。イルカとは進退一切ない数年、それがゆっくりと動き出したのはカカシが火影の就任式を迎える少し前の事だ。
 以前のように食事処で顔を合わせた。おや、と同時に声が出た。カカシが座ってメニューを手に取った瞬間に入ってきたイルカは、当然のようにカカシのテーブルの正面に座った。それから気付いたように慌ててお一人ですか、と聞いてくる。貴方の為に空けておきました、とふざければ待たせちゃいましたねと茶目っ気たっぷりに肩を竦めた。
 ああオレはやっぱりこの人が好きだ、とカカシは改めて胸の奥にしまっておいた想いを両手で掬い上げたのだった。
「久し振りに一緒に食べられて嬉しいんですけど、もうこうして会う事はなくなるんでしょうね。」
浮かない顔と寂しげな声色に、思わずカカシはイルカの手を握った。
「そんなの許しません。」
火影命令で時間を作ってもらいますからね、と鼻息荒く語気を強めるカカシに困ったような笑い顔ではいとイルカは頷いた。できるわけがないと知っていても、カカシは言わずにいられなかったのだ。そしてイルカも解っていて頷かずにはいられなかった。

 カカシが火影に就任し半年ほど経った。
いつものようにイルカは一人で食事処にいた。思い出を暖めるように、イルカは最後にカカシと会ったこの店の常連になってしまったのだ。
 こんばんは、と懐かしい声が聞こえて顔を上げるとカカシが恥ずかしそうにイルカのテーブルの脇に立っていた。宜しいですか、と尋ねられたイルカは躊躇いながらもどうぞと答えた。
「今まで一日も休みがなくて、オレも限界が来てね。」
目の下の隈は長期間の疲労のせいだとしか思えない。決して良いとは言えない顔色にイルカは眉を潜めた。
「会議や書類の決済もオレでなくてもいいものなら、途中外出も早い時間の帰宅もできる事になりました。」
その言葉にイルカは大きな安堵の息を吐いて微笑んだ。
 火影の執務室はアカデミーと隣接する建物の中だ。教頭として書類を持っていく事は何度もあったが、私的な会話は一度もしていない。それどころか書類を読むカカシと目を合わせた事もなかった。
けれどもイルカは、あの冗談のような命令を信じて待っていた。
「あんな口約束を、守って下さってありがとうございます。」
イルカは頭を下げて礼を述べたまま、暫くの間浮かび上がる涙を堪えた。だが駄目だと解るとおしぼりを目に当てて、すみませんと震える声で謝る。
 その姿にイルカの中で自分はどういう位置にいるのだろう、とカカシは考えた。少なくとも半年の間忘れずに待っていてくれたのだ、友人よりは数歩上にいるんじゃないかとそれだけで天にも昇る心地だ。
試しにまた時々こうして会って欲しい、とねだればお安いご用ですとイルカは真っ赤な目で笑ってくれた。だからカカシは、何がなんでも空き時間を作ろうと必死になった。
 そうしてまた二人はあの頃のように、時折夕食を共にするようになったのだった。
少しずつ会話が増えたのは、お互いが丸くなってきたからだとイルカは思っていた。カカシからすればぽっかりと空いた年月を取り戻したいと焦っての事だったが。

 それから一年あまり、カカシもすっかり火影として内外での評価は高値安定となった。またそうなれば皆よほど暇なのか、三十代男盛りの独身者の下半身事情が噂にのぼる。独り者が恥ずかしい、と年寄り達は喚く。
残念ながら独り者の同志綱手の、守りの壁もそう頑丈ではなかった。この現代で好きでもない人と結婚する理由が見付からない、とはっきり言い続けたけれど見合いの話が舞い込んでは断る繰り返しで。
 イルカに会う時には何もなかったように振る舞う。イルカは何も聞かないから、解ってもらえているのだと思い込んでいた。疲れたという言葉が増えたのが心配ではあったが教頭なんて俺みたいな若造には荷が重くて、と解りやすい嘘をつくから仕事もほどほどにねと返すしかない。
 ある日、昼過ぎの眠気覚ましに本部塔の周りを散歩していた時の事。ねえカカシ先生、と真剣な顔でサクラが走り寄る。
イルカ先生が、カカシ先生が結婚したらもう会ってはいけないんだよなって──。
濁した言葉尻で、カカシは全てを理解した。

 クリスマスイブの夜、広場のツリーの前で待ち合わせしましょう。
面と向かっては言えなくて渡す書類に紛れ込ませたメモに多分七時には終われます、と返事がきた。翌日からアカデミーが冬休みに入るから忙しいのだとは知っていたが、絶対に他の日では駄目なのだ。
クリスマスイブのツリーの下での告白は必ず成功する、という若い者達の噂にすがり付くような意気地なしの自分を奮い立たせる。
「この日に勇気を─。」
仕事を終わらせなければ、と書類の束を引き寄せた。

 あうんの門を外から潜って暫く歩くと中央広場があって、そこからあちこちに道が分かれている。広場の真ん中には待ち合わせや休憩ができるように、丸い花壇をぐるりと囲うベンチがある。
クリスマスツリーはその両脇に二本立っていた。花壇の左右をシンメトリーにした方が絵になるからと、商工会が忍びに任務依頼して根っこごと掘り出した木を十二月だけ植えているのだ。
 カカシは広場に七時五分前に着いた。今日はもう呼び出すなと強く言い置いてあるから、明日の朝まではとりあえず自由だ。
歩きながら正面に見えた、電飾の眩しい木の下に立つ。背中に六火と書いてはあるが忍服で夜だからさほど目立たない。誰にも声を掛けられる事はなかった。
 イルカには片付ける用も沢山あるだろうから、三十分は黙って待つつもりでいた。だがその後連絡もなく来なければどうしよう。最近イルカの態度がどこかおかしかったから実は好かれてはいないのかもしれない。この機会にもう会わないと言われたら。
などと、不安でどんどん後ろ向きになっていく。
 ああもうすぐ七時半だ、どうしたんだろう。
カカシは花壇の真ん中に立つ時計を見上げた。
「あれ、カカシ先生。なんだよ、待ち合わせか?」
ナルトとヒナタがやっと歩き始めた息子を連れてクリスマスツリーを見に来たところに会う。
「そういやイルカ先生がやっぱ待ち合わせだとかであっちのツリーの下にいたけど、もしかして?」
あ、とカカシは目を見開いた。
そうだ二本あったんだ、とそちらに歩き出したカカシの背中に声が掛かる。
「あの、余計なお世話かもしれませんが……。」
振り向いて立ち止まると、躊躇するヒナタにその先を促す。胸騒ぎで落ち着かない。
「こっちが結びの木で、あっちが解きの木と言われています。別れたい時は解きの木に願うんだそうです。」
カカシはぶんと音がするほど勢いよく解きの木を振り返ってイルカを探した。点滅するカラフルな電飾がかえって探し人を隠してしまう。
「結びの木の下にいた人が解きの木に近付くと、好きな相手とは絶対に結ばれないとも言います。だからカカシ先生は動かないで下さい。」
 いつになく強くヒナタがカカシを引き留める。
オレの気持ちは皆に筒抜けだったのか、とちらりと思ったが今はそれどころではない。イルカが選んであちらの木の下にいるのだと知って胸が苦しい。
 たかが噂、都市伝説。でももしもって考えると怖い話だからおれ達も向こうに行けないしなあ、とナルトも溜め息をつきどうしたもんかと頭を抱えた。
「じゃあ、こっちに呼べばいいんだよな?」
強張ったカカシの声に、何をする気かと二人はその背を見詰めた。肩幅ほどに足を広げ、身体の脇で拳を握るとカカシは大きく息を吸う。
「イルカ先生、何処にいますか! オレは此処にいます!」
沢山の人で賑わっていた広場の、声が全てやんだ。聞こえるのは商店街のクリスマスソングだけだ。
 流石に人々もこの声を発したのがカカシだと気付いたようだ。ひそひそと話し声が聞こえ始める。
「イルカ先生!」
もう一度叫べば、たたっとカカシに走り寄る足音が聞こえた。髪を乱したイルカがカカシの前に立つ。
「……そんなに大声を出したら皆さんのご迷惑に……、」
寒さからではなく真っ赤な顔のイルカが、もじもじと両手の指を弄りながら小さく呟く。あ、すみません、と自分でも思わずとった行動に尻込みしたカカシも小声になった。
「カカシ先生、こういう時は勢いだってばよ。」
ほら、とナルトに背を叩かれ目的を思い出したカカシは決意に胸を張った。
「イルカ先生、ずっと好きでした。この結びの木に誓います、貴方だけを永遠に愛する事を!」
一気に大声で叫んだものだから肩で息をしながらああなんて平凡でつまらない台詞しか出てこないんだ、とカカシは後悔した。でもこの気持ちはこの言葉でしか表せないから、この言葉が全てだから。
 イルカは呆然としていた。真剣に見詰めてくるカカシの言葉を心の中で反芻しても、自分に都合の良い事しか言われていない気がする。
 そう、イルカもこの一年でカカシに心惹かれていったのだ。けれどカカシに見合い話が山ほど舞い込み、どうやらそろそろ年貢の納め時らしいと流れてくる根も葉もない噂を信じてしまった。このひと月あまりは諦めようと溢れそうな想いを入りきらない壺へと無理やり押し込んでいたから、カカシと食事する事が嬉しくて辛かったのだ。
「諦めなくて、いいんですね……。」
俯き両手で顔を覆ったイルカが漏らした言葉に勿論、と答えた嬉しそうなカカシがそっと覗き込む。
顔を見せて、抱き締めさせて。
囁けばカカシの胸に顔を押し付け、背中に手を回してくれた。泣き顔は酷くて見せられないとしゃくりあげながら言うから、カカシも誰にも見せないと覆い隠すようにイルカを抱き締めた。
 ささやかな活動を続けている宗教の信者達の列が、歌を歌いながら歩いてきた。歌詞を聞けば神に守られる者達への祝福の歌だと解る。
 列の先頭の恰幅のいい中年の男がカカシを認め、列を率いて近寄ってきた。確か協会の神父という職に就いていたよな、と火影でも結構記憶は曖昧だ。一番偉い人という認識だけはあるのでゆっくり頭を下げた。
「火影様と、火影様の愛する方に、皆で祝福を。」
よく通る声にその場にいる者達が拍手で答えた。おめでとうおめでとう、と次から次へと二人に声が掛かる。
こんなに沢山の人が祝ってくれるなんて、と二人とも感激に胸が詰まりそうだ。
 カカシとイルカの強く優しく誠実な人柄は、忍びも一般人もよく知っている。二人が幸せならば皆も嬉しいと、祭りのような歓声はひとしきり続いた。
 やがて信者達の列は別の曲を歌いながら遠ざかっていった。カカシに肩を抱かれながらそれを見送り周囲も静かになると、イルカは改めて自分の身に起こった事が一大事だと理解した。カカシは里人達に余裕の笑みで手を振っているが、自分はどうしたらいいのか解らないから思わずカカシの陰に隠れる。どうしたの、なんて笑っているカカシが能天気に思えて少しは憤慨するがあまりにも嬉しそうで何も言えない。
「明日から暫くは色々大変だね、頑張ろう。」
「いや頑張ろう、なんて簡単に言いますけどね……。」
まあいいか、とイルカは溜め息をついてカカシの肩に頭を乗せた。

  夜も更け大分寒くなってきたので、肩を寄せながら手を繋いでイルカの部屋に向かう。以前から炬燵のある生活をカカシが羨ましがっていたからだ。
 イルカのアパートが見えたところでふとカカシが立ち止まった。どうしたのかとイルカも立ち止まれば、カカシが素顔を晒し満面の笑みでイルカをそっと抱き寄せる。
「人生で一番幸せ、って言わせて。」

written by みるきー(@Milkyway0624)

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